徒然なる儘に ・・・ ④

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きょうの潮流 2023年5月9日(火)

きょうの潮流

 「加害の歴史を含めて、さきの戦争の真実を次世代に伝えたい」。この思いで1991年から長野県飯田市で開催してきた「平和のための信州・戦争展」

 

▼戦争展飯伊地区実行委の取り組みが実を結んで昨年5月、飯田市立の「平和祈念館」が開設されました。目を引く展示は「石井部隊図書」のゴム印が押された書籍『人体解剖学』や古びた医療機器類です。元731部隊員、胡桃沢正邦さんの遺品です

「人間にはできぬことした」 731部隊元隊員が託した証言と手術器具 収集した久保田さん「証言の展示やならきゃ」

飯田市出身の元隊員が旧満州から秘密裏に持ち帰った手術器具などの展示について説明する久保田さん(右)=10月21日、同市平和祈念館

飯田市平和祈念館 証言や遺品説明のパネル展示せず

 金属製の箱に入った数本のメスなどの手術器具や薬品が入った小瓶、「人体解剖学」と題した書籍には「石井部隊」の判が押されている―。

 戦時中、旧満州中国東北部)で捕虜を使った人体実験や細菌戦をした関東軍防疫給水部(731部隊)に所属した飯田下伊那地方出身の故胡桃沢正邦さんから、飯田市座光寺の久保田昇さん(93)に託された遺品。今は同市平和祈念館で展示されている。

 31年前、久保田さんは胡桃沢さんの自宅でこれらの品を見せてもらった。胡桃沢さんは一つ一つ手に取り、丁寧に説明してくれた。

 敗戦直前の命令で部隊について口外を禁じられ、採用時に軍歴などを調べられるため公務員になることも禁止。胡桃沢さんは戦後、家族にも明かさず専業農家として暮らした。生前、久保田さんに見せた戦友会名簿には、戦後に大学の医学部教授や保健所長になった元軍医の名もあった。

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 久保田さんは下伊那郡下條村出身。旧制飯田中学校(現飯田高校)在学中に終戦を迎えた。戦時中、学校は軍需工場となり「天皇陛下の役に立ちたい」と休みなく潜航艇の部品を作った。「国の言いなりになり、二度と戦争を起こしてはいけない」。戦後は県内の小中学校で教員として働きながら平和活動に取り組んだ。1991年8月、飯田下伊那地方で初めて開催した「平和のための信州戦争展」の実行委員長を務めた。

 開催前、731部隊の元隊員がいると聞き、同郡高森町内の施設に胡桃沢さんを訪ねた。「満州での体験を話していただけませんか」と恐る恐る尋ねると、後日、「731部隊のことを話そうと思います」と返事があった。

 戦争展で講演した胡桃沢さんは「マルタ」と呼ばれた捕虜300人の生体解剖に関わったと明かした。「マルタは実験素材だった」。その後、胡桃沢さんは「私は人間にはできないことをした。これからの若い人たちに伝えてほしい」と手術器具などを久保田さんに託し、講演の2年後に亡くなった。

 2000年、久保田さんは仲間たちと一緒に戦争関連の資料保存、展示をする施設建設の請願を仲間と一緒に飯田市議会に提出した。市議会は全会一致で採択。03年、胡桃沢さんの手術器具などの資料を市教委に寄贈した。

 久保田さんらは胡桃沢さんら4人の証言や遺品の説明などのパネル展示も求めてきた。だが、今年5月に開館した市平和祈念館にパネルは展示されず、手術器具などが説明もなくガラスケースに並べられただけだった。

 市教委は、元隊員の証言が「教科書の内容を超えている」とする学校教員の意見や、部隊の細菌戦を裏付ける資料が確認されていないとした03年の小泉純一郎首相(当時)の国会答弁を理由に挙げる。現在、展示に関して検討する組織の在り方を議論しているが、見通しは立っていない。

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 「自虐史観」「歴史戦」などの言葉が躍り、従軍慰安婦を巡る朝日新聞の「吉田証言」誤報認定で慰安婦問題そのものが捏造(ねつぞう)だったかのような誤った認識が広がった。歴史研究の成果を踏まえず、日本の加害責任を否定する政治家らの発言も繰り返された。

 「公的施設で行政が萎縮し、加害の歴史の展示が難しくなっている」。10月下旬、久保田さんらの案内で同館を訪ねた「戦争と医学医療研究会」の原文夫さん(73)=大阪府下伊那郡阿智村出身=は指摘する。大阪市では市が共同出資する財団運営の「大阪国際平和センター」が府議らから「自虐史観」との批判を受け、15年の改装を機に日本軍の加害行為の展示や「侵略」の表現がなくなった。

 資料の発掘によっても部隊の活動はより明らかになってきたが、原さんは「元隊員の証言は貴重」と強調する。つえを突き、耳も遠くなった久保田さんは「証言が展示されなければ、隊員が託した資料も生きてこない。証言の展示はやらなきゃいけない」と語気を強めた。(佐藤勝)

          ◆

731部隊】 生物・細菌兵器の研究開発のため、1936(昭和11)年に編成された旧陸軍の特殊部隊。石井四郎・陸軍軍医中将が部隊長を務めた。旧満州ハルビン近郊で秘密裏に中国、ロシア人らの政治犯や捕虜に非人道的な人体実験を繰り返し、多数を殺害。約3千人が人体実験の対象になったとされる。ペストやチフスなどの細菌を研究し、日中戦争で実際に使用した。2002年の東京地裁判決(その後確定)は中国人被害者遺族の損害賠償請求を退けたものの、731部隊の細菌兵器の製造や使用は認定した。

▼「石井部隊」とは、石井四郎軍医中将のもと、中国東北部に建国した傀儡(かいらい)国家「満州国」で生体実験と細菌兵器攻撃をした731部隊のこと。同実行委は、91年の戦争展に招いた胡桃沢さんの証言(当時78歳)も撮影し、保存しています

navymule9.sakura.ne.jp

 

ja.wikipedia.org

▼証言の録画を視聴すると、よどみなく質問に答えていました。「スギでもヒノキでも丸太は素材でしょう。マルタは研究の素材です。素材を使って病原菌を研究する」「マルタは人間で、中国人、蒙古人、ロシア人もいた」。“人体実験は、常識では考えられない”との質問には、軍人勅諭をそらんじて「軍隊では黒いものであっても、上が白だといえば白だと逆らえない」とも

 

▼祈念館で残念なのは、731部隊の説明が全くないことです。同実行委は飯田市に対し戦争展での証言などの成果を生かすように求めています

 

▼「戦争の悲惨さを伝えるには侵略・加害の事実に目をつぶることはできません。市民と行政が連携する平和の発信拠点として充実させたい」。同実行委の唐沢慶治委員長の抱負です。