半世紀前に亡くなった画家、香月泰男(かづきやすお)
さんの代表作に「1945」がある。人間が地面に横たわっているように見える油絵だ。手は後ろに回し、顔の表情はよく分からない。体には何か無数の線が引かれている
▼31歳で徴兵された香月さんは旧満州で終戦を迎えた。列車でソ連に移送される際、線路わきにあった日本人の遺体が目に入った。それが後に作品のモチーフとなる。リンチを受けたらしく、ひどく傷ついていた。肌は赤く、しまの模様があったという
▼気づきがあったのは2年間の抑留を経て、帰国した後だった。原爆による黒い遺体の写真を見て、思った。広島の死は「無辜(むこ)の民の死」である。では、満州での死は何か。侵略への贖罪(しょくざい)を求められた「加害者のあがなわされた死」ではなかったか
▼赤い死と黒い死。それは、あの戦争で、多くの日本人が担うことを強いられた、加害と被害という、二つの顔の象徴に違いない。評論家の立花隆さんが聞き取りをした著書『私のシベリヤ』で、香月さんはそう語っている
▼赤と黒はときに混ざり、重なった。「私たちシベリヤ抑留者も、いってみれば生きながら赤い屍体(したい)にさせられたのだ」。戦争と抑留の意味を悩み続けた画家だった。この夏、その画集を手にし、見入った
▼きょう8月23日は、78年前、
スターリンが日本人捕虜を極東に移送するよう命じた日
である。およそ57万人が寒さや飢えや重労働に苦しみ、5万人以上が死亡した。正確な数はいまも、分かっていない。