国会が任務を果たすには、絶えず開かれているべきだ。そんな声が、憲法原案を審議していた1946年の帝国議会であがった。通年国会を原則に、との求めである。これに金森徳次郎担当大臣が答えた
1946年5月3日 極東国際軍事裁判の結審にて
東條英機元首相、絞首刑の判決を受ける
▼理想はその通り。ただ現実には国会対応で行政が滞る、と。だから
「万年議会制度をとらなかった埋め合わせとして、議員の四分の一以上の要求があれば(国会を)開かねばならぬということになっております」。
少数派にも意見を述べる機会を、という憲法53条の趣旨である
▼今からみれば、議事録のやりとりはじつに清々(すがすが)しい。国民主権の理念を育てようという思いが双方にある。隔世の感と言わざるを得まい。ここ数年、野党から臨時国会の要求があっても、内閣はたなざらしにしてきた。憲法を守る精神があまりに欠けている
▼そんな一喝を期待したのが愚かだったのか。53条をめぐる訴訟で、最高裁は憲法判断をせぬまま野党議員らの訴えを退けた。せめてもの救いは、宇賀克也判事の反対意見だ。特段の事情がない限り「(内閣の)かかる対応は違法である」。投じた一石の波が政府に伝わることを願う
▼じつは帝国議会では、もし内閣が要求に応じなかったら、との問いもあった。金森氏は
「この中に動く人々は、政治道徳の模範ともなるべき人々であろうと思います」。
心配には及ばないと
▼本当に模範となりうる人々か。司法に期待できるものが少ないとすれば、目をこらすのは、主権者たる私たちの役割である。