徒然なる儘に ・・・ ④

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岸田文雄 wiki

岸田 文雄(きしだ ふみお、1957年昭和32年〉7月29日 - )は、日本政治家自由民主党所属の衆議院議員(10期)、内閣総理大臣第100代第101代)、自由民主党総裁(第27代)、宏池会会長(第9代)。

 

生い立ち

広島県出身の通商産業省(現:経済産業省)の官僚であった父・岸田文武の長男として東京都渋谷区で生まれる[1][8]。親の教育方針もあり、文雄は東京で育てられた[9][10]。岸田家は広島の一族であるため[11]、一家は毎年夏に広島に文雄を連れて帰省し、文雄は広島原爆被爆者たちから当時の話を聞いた[12]。岸田一族も多くが被爆し、死に至った者たちもいた[12][11]

1963年、父の仕事の関係でアメリカ合衆国ニューヨーク市に居住し、小学校1年生から3年生まで3年間、現地のパブリックスクール(公立小学校)に通う[13]。 1963年秋から「PS 20」に通ったのち、1964年春からクイーンズ区の近隣住区エルムハーストに位置する「PS 13 Clement C Moore School」に通った[12]

1966年6月にパブリックスクール3年次を修了[注釈 2]して日本に帰国。7月に永田町小学校(現:麹町小学校)の3年次に転入[10]麹町中学校を経て、1973年に開成高等学校に入学[14]。野球部に入部し、高校生活を野球に捧げ、その傍らでロック/フォークの流行に影響を受けギターに打ち込む[14]

大学から銀行員時代

1976年に開成高校を卒業、東京大学合格を目指し2年間の浪人を経験する。この時について、岸田は、著書「岸田ビジョン 分断から協調へ」(講談社)の中で、「(自分は)東大とは縁がなかった」、「3年連続で東大に不合格だった」ことを明かしている[15][16]

1978年に早稲田大学法学部に入学。政治家を数多く輩出している早稲田大学に学んだものの、政治家を志したわけではなかった。当時は夏目漱石のような文豪に憧れ、庄司薫の小説も愛読し一人旅を好んだ。

1979年、父・文武が通産省を退官し、衆議院選挙に出馬、衆議院議員に当選した。この際、岸田は父の熾烈な選挙戦を手伝ったが、多くの種類の人間に接し1票を入れてもらうため、いかなる努力をするべきなのか考える貴重な経験となり、その後の自身の政治への道に影響した[17]

1982年、早稲田大学法学部(民法不法行為):浦川道太郎ゼミ)を卒業[18][2]、同年、日本長期信用銀行(現:SBI新生銀行)に入行[2][19][20]

長銀入行後、最初の配属は本店勤務で外国為替業務を2年半経験し、こののち海運業界担当の営業マンとして高松市に2年半赴任した[14]。高松での地方営業では利息すら払えなくなった会社から経営再建の支援継続を相談されたり、倒産や夜逃げを目の当たりにして世間の厳しさや経済というものの激しい実態を知った