徒然なる儘に ・・・ ④

心機一転、新たにブログ再開です💕 雑談を書くことも多いですけれど・・・(主に、電子ゲーム・ネタ💕)、残りは【新聞記事】にコメントを入れています💕

(天声人語)カスハラにご用心 2024年5月6日 5時00分

列車の指定席で男が傍若無人にふんぞりかえる。作家の伊集院静さんが注意したところ、言われたそうだ。金を払っているんだからどうしようと構わないじゃないか、と▼「たかだか金を払ったくらいで、好き勝手ができる場所が社会のどこにあるんだ。好き勝手したいなら、この車両ごと切符を買ってやれ」。小気味いい啖呵(たんか)に胸がすく車掌さんもいるだろう。連休の最終日。Uターンの車内で旅の恥は掻(か)き捨て、とふるまう客への対応で、現実には手を焼いているかもしれない▼鉄道だけではない。店員や公務員などに、客(カスタマー)が暴言を吐いたり、理不尽な要求や説教を繰り返したりするハラスメント、略してカスハラが横行しているそうだ▼トラブル対策で、運転手名の車内掲示をやめたタクシー会社もある。会話の入り口に、名字を見て出身地を聞くのは小さな楽しみだったが、何ともせちがらい世の中になってしまった▼人間だから、店や窓口での対応にいらつくことはあろう。でも長い目で見れば、サービスされた者は、いつかサービスする側になる。円環となって巡るのが社会というものだ。放ったカスハラの矢はぐるりと回って、自分の背に刺さる▼以前の記事によれば、他人をねちねちと諭すのは中高年の男性に多く、世直し型や過去自慢型、上から目線型などに分かれるそうだ……あれ? 小欄は大丈夫だろうか。恥の掻き捨てにも、お説教の書き捨てにもならぬよう用心用心。

 

鏡の中の己をみつめ直す。

 

言文一致とは、二葉亭四迷だったっけ❓

 

言文一致を説いた小説家は誰ですか?
 
現代で使われるような口語体は、1887年(明治20年)、小説家「二葉亭四迷」(ふたばていしめい)が発表した小説「浮雲」(うきぐも)を皮切りに、近代小説家達が「言文一致運動」(げんぶんいっちうんどう:話し言葉と書き言葉を同一化させる運動)を行った成果なのです。
 
げんぶん‐いっち【言文一致】〘名〙 話しことばの表現と書きことばの表現との間に、用語上の違いがないこと。 語法上、話しことばに近い形で文章が書かれること。 また、そのようでなければならないとする考え方およびその運動。 またその運動によって生み出された文体。