徒然なる儘に ・・・ ④

心機一転、新たにブログ再開です💕 雑談を書くことも多いですけれど・・・(主に、電子ゲーム・ネタ💕)、残りは【新聞記事】にコメントを入れています💕

(憲法を考える)企業献金は「政治活動の自由」か 禁止拒む首相の論拠、「八幡製鉄事件判決」とは 2024年2月27日 5時00分

 ■憲法を考える 視点・論点・注目点

 自民党派閥の裏金事件をめぐって、国会では「政治とカネ」の論戦が続く。焦点の一つが、企業・団体献金の全面禁止だが、岸田文雄首相は「企業の政治活動の自由」を盾にして、耳を傾けようとしない。首相がよりどころとするのは、旧八幡製鉄から自民党への献金の合憲性が争われた1970年の「八幡製鉄政治献金事件」最高裁判決だ。半世紀前の判決であり、専門家からは「見直しが必要」などの批判も出ている。首相が繰り返す「政治活動の自由」とはそもそも何か、改めて考えた。

 

 ■半世紀前の論理、学者や元判事から批判も

 1月29日、参院予算委員会。「政治とカネ」をめぐり、企業・団体献金の禁止が議論になった。

 山添拓議員(共産)「パーティー券をたくさん購入できるのは、多くは企業や団体。企業・団体献金は、パーティー券を含めて全面禁止し、金権腐敗の根を絶つべきでは」

 岸田文雄首相「昭和45(1970)年の最高裁判決で、会社にも政治資金の寄付の自由が認められている。政党がその受け取りを行うこと自体が、不適切なものであるとは考えていない」

 国会では企業・団体献金の禁止を求める野党側に対し、岸田首相が会社の「政治活動の自由」を盾に拒む構図が繰り返されている。首相がよりどころにするのが、八幡製鉄政治献金事件・最高裁判決だが、どんな裁判だったのか。

     *

 <「会社、国民と同じ」> 原告は広島県三原市の故・有田勉三郎弁護士。旧八幡製鉄(現・日本製鉄)の株主で、植民地時代の台湾の華南銀行で副総理を務めた元実業家だった。61年3月、八幡製鉄の社長と副社長を相手に東京地裁株主代表訴訟を起こした。「自民党に350万円を寄付したのは取締役の忠実義務違反にあたる」として、2人に連帯して350万円を会社に返せ、と訴えたのだ。

 有田さんは、提訴の動機を「週刊現代」(63年4月25日号)でこう語っている。

 「八幡製鉄には、これっぽっちも怨念はない(中略)分かっているようで、分からないもの、それが政治資金というもんだ。私は、それを明らかにして、正しく流れさせる。それには、どんな方法があるか、十年間も考え続けたんだよ。弁護士といっても、看板だけの自適の生活だからね、私は」

 一審・東京地裁は、政治献金は、「営利を目的とする会社の目的の範囲外にあたり違法」とし、社長ら2人に会社に350万円を支払うよう命じた。しかし、二審・東京高裁は、「会社が一社会人とし、政党に対して政治資金を寄附(きふ)する行為は、当然に会社の目的の範囲に属する行為」と指摘。一審判決を覆した。

 70年6月24日、裁判官15人からなる最高裁大法廷(石田和外裁判長)は、「会社は、自然人である国民と同じように、国家や政党の特定の政策を支持、推進または反対するなどの政治的行為をなす自由を有する」と述べ、有田さんの訴えを退けた。

 「大企業による巨額の寄付は金権政治の弊害を生み、政治腐敗を醸成する」とする原告側の主張について、最高裁は「弊害に対処するには、立法政策にまつべきだ」とし、企業からの献金の制限は立法で可能と指摘した。

 判決後、有田さんは朝日新聞の取材に「これからも政治献金がますます流れ、政治が汚されていく」と語った。

     *

 <「お金でゆがめる」> 最高裁判決は、企業の政治献金にお墨付きを与えた先例として定着していくことになる。しかし、政治活動の自由のような個人を主体とする精神的自由を、営利目的の民間企業にも広く保障する最高裁の論理については、憲法学者の間では強い批判がある。

 2000年代に入り、企業献金の違法性を初めて認めた判決が出た。03年2月、熊谷組の政治献金をめぐる株主代表訴訟で福井地裁(小原〈こはら〉卓雄裁判長)は、被告の元社長に約2861万円の賠償を命じたのだ。「経営状況が悪化しているのに、厳格な審査をせずに献金を実施したのは取締役の注意義務違反にあたる」と結論づけた。

 判決で小原裁判長は、「会社などによる政治資金の寄付の規模によっては、国民の参政権を実質的に侵害するおそれがあることは否定できない」と警告した。判決は二審・名古屋高裁金沢支部で覆されたが、最高裁判決に歯止めをかけようとしたケースとして記憶されるべきだろう。

 小原裁判長は今、大津市で弁護士をしている。最高裁判決について尋ねると、「見直しが必要だ」という。

 「企業に政治活動の自由が認められても、政治献金できる自由が当然に導かれるわけではない。政治献金について最高裁は『政党の健全な発展』のための協力に当たると言ったが、むしろ健全な発展を阻害し、お金で民主主義をゆがめているのが企業・団体献金の実態。司法判断の新しい枠組みが求められている」編集委員豊秀一

 

 ■政党のお金も自由?「責任」が蒸発 蟻川恒正・日大教授

 岸田首相は「政治活動の自由」を盾に、政党から党幹部ら個人に渡される政策活動費の使途公開に消極的だ。「自由を履き違えている」と指摘する蟻川恒正・日大教授(憲法)に話を聞いた。編集委員高橋純子)

     ◇

 自由には、制約がないという意味とは別に、特別の立場の者が特別な責任を履行するという意味があります。公共の事柄である政治に奉仕する政治活動の自由は後者です。

 1948年に制定された政治資金規正法が基本理念としているのも、この「責任」です。「政治団体は、その責任を自覚し、その政治資金の収受に当たつては、いやしくも国民の疑惑を招くことのないように、この法律に基づいて公明正大に行わなければならない」(同法2条)。

 留意すべきは、政治資金規正法が「規制」ではなく「規正」という言葉を使っている点です。この法律は議員立法です。当時の国会議員は、腐敗の疑惑は政治家が自らの責任で正すものだという自負を法律で表明したのです。

 岸田首相の発言からはその責任意識が蒸発している。主権者である国民から「公」を預かっているという感覚が消失しているように見えます。

 首相は、政策活動費の使途公開について、「政治活動の自由と国民の知る権利のバランス」だと言いますが、政治活動の自由は「責任」であり、国民に知る権利を保障することは「責任」そのものです。バランスの問題にはなりません。政治資金の使途をプライバシーのように扱うこと自体、致命的な範疇(はんちゅう)錯誤です。

 ところが、その点があいまいなまま、この政治活動の自由を、民主党政権も援用し、自民党は、野党時代の2012年の改憲草案で、この自由を憲法典にまで盛り込もうとしたのです。政治活動のフリーハンドを手にすることへの欲望は深いとみるべきです。

 「選挙で民意の負託を受けたから自由にしていいはずだ」と反論されるかもしれません。しかし、選挙に勝った者は、制約のない自由を得るのではなく、国政を預かる責任を付与されるのです。

 48年の国会議員にはあった責任意識が失われたとすれば、それは、政治家が、その責任の重みに耐えられなくなったからだと思います。

 ではどうすればよいのか。自分が「特別の立場」になったことの厳しさに耐えうる政治家を、有権者が選出することです。現在の政治家に、自らに課せられた「自由」の意味を自覚させることができるのは、政治倫理審査会ではなく、落選の恐怖です。

 

 ■判例アップデート、株主の出番 取材後記

 今風に言えば、「ファーストペンギン」だ。八幡製鉄事件の原告として、企業からの政治献金のあり方を正面から問うた有田勉三郎さん。その横顔が垣間見えたのは「週刊現代」の記事だった。

 「政治家側はカネに対してダラシがない。会社から寄付を受けるのは当たり前や、とルーズに考えているからね。問題にしてくれん。そこで、この問題を、司法部、つまり裁判官が、どう判断するか、それを明らかにしてみよう、とまあ思ったわけだ」

 提訴から63年。岸田首相は、古びた1970年判決を根拠に「企業の政治活動の自由」を強調し、企業献金規制の動きにブレーキをかける。今の裁判官が先例を妥当と考えているのか。アップデートには新たな訴訟が必要だ。株主の出番である。編集委員豊秀一

 

 ■予告

 次回は3月26日に掲載する予定です。