衆院政治倫理審査会への出席という岸田文雄首相の決断は、裏金事件の当事者たちを引っ張り出すことには成功した。ただ、それと引き換えに事件をめぐる自民党総裁としての責任はさらに重みを増した。政権の機能不全と首相の孤立もあらわになってきた。
自民党派閥による裏金事件を受け、29日の衆院政治倫理審査会(政倫審)に岸田文雄首相が出席する。実態解明や政治への信頼回復につながるのか。学習院大の野中尚人教授(比較政治論)に聞いた。
首相自身が政治倫理審査会への出席と全面公開を表明したことで、安倍派と二階派の5人をテレビカメラの前に立たせることにつながったのは評価できる。
ただ、なぜ首相はもっと早い段階で公開での出席を指示しなかったのか。どうして首相自身が出席せざるを得なくなるまで十分な対応を取らなかったのか。野党やメディアに批判され、追い込まれてからカードを切った姿に、指導力の欠如が表れている。
内輪の論理を優先し、公開、非公開をめぐって党内での駆け引きが続き、迷走したこと自体が政治不信を増幅した。
政倫審は原則非公開で、証人喚問のように偽証罪に問われることもない中途半端なものだ。しかし、首相は出席する以上、政倫審を真相解明に役立つ「器」として機能させなければいけない。
これまでの首相の姿勢や党の調査は、説明責任や実態解明とはほど遠いものだ。政倫審でも、事前に準備した紙を読み上げるだけの、国会答弁と同じような不十分な対応に終始するならば、首相自身の責任が問われる。
裏金作りが判明した議員のうち、政倫審への出席はなぜ5人だけなのか。第三者による調査は実施しないのか。「政治とカネ」の問題の具体的な改革案は。国民に対して説明していないことは山ほどある。(聞き手・小手川太朗)
28日午前、記者団の前に現れた首相の表情はこわばっていた。公開の是非をめぐり開催のめどが立たない政倫審の調整状況を自ら説明した上で「今の状況では国民の政治に対する信頼を損ね、政治不信も深刻になる」と述べ、党総裁として出席する考えを示した。
そして出席を申し出ながら、野党の公開要求を拒む安倍派幹部ら5人を念頭に「志のある議員に説明責任を果たしてもらうよう、あらゆる場で、これからも努力してもらうことを期待している」と語った。発言を聞いた岸田派の閣僚経験者はこう言った。「首相は怒っていたな。『志ある議員』という言葉が全てを象徴している。出なければ『お前たちには志がない』ということになる」
もろ刃の剣の決断、この先のリスク
その後、安倍派幹部たちは連絡を取り合い、かたくなに拒んできた公開での出席に応じる姿勢に転じた。5人の出席を引き出す首相の狙いは的中したが、その時点で役割を終えた「捨て身の一手」は、首相にとってリスクへと変わる。
衆院当選4回の議員は「首相が出るのは賭けだ。新しい真相が出なかったら『意味がなかった』となってしまう」と考え、首相側近の衆院中堅議員に「官僚に答弁を書かせたら、これまでの予算委の答弁と同じになる。あなたがしっかり、みてください」とメールを送った。官邸幹部は「政倫審は本人が申し出て弁明する場であり、予算委とは違う」と述べ、リスクを否定するが、党三役経験者は「首相は予算委と同じことを言えばいいと思っているかもしれないが、国民は納得しない。むしろ出るとマイナスかもしれない」。
こうした「両刃の剣」(岸田派幹部)とも言える決断をせざるを得なかったのは、政権が機能不全に陥っているからだ。
「完全非公開」にこだわる5人側と、テレビ中継もある「完全公開」を求める野党側との交渉役だった自民の中堅議員は「政権というか、自民党が終わる節目になりかねないという危機感がある」との思いで日々、臨んできた。閣僚経験もない自らが、いずれも要職を重ねてきた「格上」の安倍派幹部らを相手に徒労感だけが募っていった。「こちらの武器は『こん棒』だ。『炎の剣』は持っていない。説得できるわけがない」
本来なら、首相に代わり党務を取り仕切る幹事長が調整役を担ってもおかしくない。ただ、首相と茂木敏充幹事長にはすきま風が吹く。首相に近い岸田派の閣僚経験者は「幹事長が5人を出席させるよう判断させるべきだが、茂木氏の存在が見えない」とぼやく。
別の幹部は27日夜、政倫審の公開開催にむけて首相が記者団に「党として促していく」と話していることを聞いたが、思わず、突き放した。「『自分でやれ』と首相に言ってください」
首相と距離を置く無派閥のベテランは「首相は国会では『説明責任を果たすよう促す』と繰り返してきたが、最初から『出ろ』と言っていれば、良かっただけの話じゃないか」と首相の指導力不足を指摘する。
裏金問題による突然の岸田派解散の表明後、他派閥も相次いで解散宣言に追い込まれた。党内には首相への疑心暗鬼が渦巻き、幹部からは政権を支える意思が失われつつある。首相は最近、周囲にこうこぼしたことがある。「誰もやってくれないんだ。やるべき人は色々いるはずなのに……」(藤原慎一、今野忍)
政倫審への出席決めた首相、問われるものは
自民党総裁として、説明責任を果たすべきだと考え、審査の申し出をする――。
岸田文雄首相はこう記した「申出書」を衆院の政倫審会長に提出した。だが、これまでの予算委員会での説明は、党総裁としての当事者意識に乏しく、実態解明にはほど遠い。同様の答弁にとどまるなら、安倍派幹部らを政倫審に引っ張り出すためだけに終わり、更なる批判を浴びることになる。
政倫審の焦点の一つは、安倍派や二階派の組織的な裏金作りの実態だ。「党として実態把握に努める」と語ってきた首相には、党総裁として説明する責任がある。
裏金作りがいつ始まり、なぜ続いてきたのか。自民の聞き取り調査では、安倍派では「遅くとも十数年前、場合によっては20年以上前」から行われていた可能性が指摘されたほか、2022年には安倍晋三元首相が裏金作りをやめようとしたものの、結局、継続となったとの証言もある。
これに対し、首相は「具体的にいつどのように始まったかまでは判然としない」と語るのみ。1998~2000年と、01~06年に派閥会長を務めた森喜朗元首相に聞き取り調査するよう求められても「必要ない」と拒んでいる。
裏金の使い道も問われる。党の聞き取りでは、会合費、車両購入費、書籍代、人件費などとされたが、政治活動なのか私的流用かは区別できない。
首相は「党の聞き取り調査で、還付金(裏金)を政治活動費以外に用いた、または違法な使途に使用したと述べた者は1人もいなかった」としている。
巨額のカネの使い道については、党から幹事長ら議員に配られる「政策活動費」にも疑惑の目が向けられている。岸田政権下で幹事長を務めた甘利明氏には約3億8千万円、茂木氏には2億4千万円が支出された。安倍・菅両政権下で幹事長を務めた二階俊博氏は、在任中の5年間で計48億円を受け取った。
首相は「党勢拡大をはじめ、定められた目的のために使われている」と説明するが、野党は「選挙買収に使われるなど不正行為の温床だ」と指摘する。
「脱税疑惑」も焦点だ。裏金も政策活動費も、政治活動ではなく、私的に流用していれば、課税の対象となるためだ。予算委で立憲民主党の野田佳彦元首相が、裏金を受け取っていた議員が納税義務を果たすよう指示すべきだとただしたが、首相は「法律に従って対応すべき課題だ」と述べるにとどめている。
首相自身の「政治とカネ」の問題も追及対象だ。昨年12月まで会長を務めていた岸田派では、過去3年間で約3千万円分の不記載が判明し、会計責任者が略式起訴された。首相は「事務的なミス」と繰り返すが、3年分より前について調べるよう求められても、「確認できていない」としている。
首相の地元・広島で開催した首相就任祝賀会をめぐっては「脱法パーティー」との指摘も出ている。首相は任意団体の主催であって、政治資金パーティーではないとの認識を示しているが、「首相が抜け穴作りの先頭を切るのか」との批判が向けられている。
そもそも政倫審では実態解明に不十分との指摘がある。偽証の罪に問われることがなく、かつては疑惑をかけられた議員が「幕引き」の場としようとしたことがあった。
さらに裏金作りが判明した自民の衆院議員51人のうち、46人が出席を申し出ていない。そこには、多額の不記載が確認された二階派会長の二階俊博元幹事長や、安倍派幹部「5人衆」の1人である萩生田光一前政調会長も含まれる。首相が、両派について具体的に説明できるのかにも疑問符が付く。
立憲民主党は、26日の衆院予算委で首相をただした野田佳彦元首相や、枝野幸男前代表ら「論客」を並べ29日と3月1日の政倫審に臨む構えだ。笠浩史国会対策委員長代理は自民にこうクギを刺す。「二階さんらほかの46人を含め、国会で説明すべきだと要求し続ける。これで終わりではない。参考人や証人喚問も求めていく」(三輪さち子、松井望美)