徒然なる儘に ・・・ ④

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政治学者の五百旗頭真さん死去 元防衛大学校長、震災復興の政策提言 2024年3月7日 4時00分(2024年3月7日 11時55分更新)

 神戸大名誉教授の政治学者で、東日本大震災復興構想会議議長や防衛大学校長を務めた五百旗頭真(いおきべ・まこと)さんが6日、急性大動脈解離で死去した。80歳だった。葬儀の詳細は未定。

 米軍普天間飛行場沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設計画をめぐり、国が新たな区域の埋め立てに必要な設計変更を県に代わって承認する「代執行」に踏み切った。本土と沖縄、米国の関係はどうあるべきか。日米関係や沖縄と長く向き合ってきた元防衛大学校長の五百旗頭真氏(日本政治外交史)に聞いた。

 安全保障や外交は、政府が全体的な観点に立って主導すべきことだ。地方の了承と合意は必要だが、反対だからといって全部やめていては成り立たない。地方も全国的必要性に協力すべきところがある。

 そういう意味で代執行を認めた判決は、従うべきものだろう。ただ、そうだとしても政府の対応は感心しない。問題の焦点は「協力」である。「判決に従わなければ違法」と突き放した態度をとって済むものではない。政府は沖縄の人々に丁寧に誠意を尽くして協力をお願いすべきだ。

過去には沖縄と心を通わせた政治家

 こうした努力は過去になかったわけではない。橋本龍太郎内閣、小渕恵三内閣を中心に展開された沖縄振興策だ。橋本内閣は沖縄の発展を応援しようと、首相補佐官が市町村まで回った。小渕内閣は沖縄でのサミットを実現させた。第2次大戦で沖縄は悲惨な境遇に置かれた。近年はそのことに思いを寄せ、沖縄と心を通わせる政治家が少なくなった。

 今後の辺野古移設工事は、軟弱地盤の対策にコストばかりかかる。普天間飛行場に比べて滑走路も短い。日本の首相以下が柔軟に修正を考え、米国に協力を求めれば、米国側が応じる可能性はある。だが、日本政府は一度決めたことを変えたくない。国内的にも、米国に対しても硬直的な体質がある。

政府は労を取らずに放置

 沖縄返還交渉をした佐藤栄作首相は、ジョンソン米大統領に真っ正面から要請した。日本の総理の言葉があれば、米大統領もないがしろにできない。こたえなければ日米関係が持たない。沖縄に支えられた安全保障ならば、政府は労を取らねばならないのに放置している。重要なときには、日本の首相が米国に正面から要求する勇気を持たなければならない。

 政府は1995年に少女暴行事件が起こるまで基地問題に真剣に取り組まなかった。そのことを沖縄では、ヤマトンチュ(本土の人)の身勝手と感じる人も少なくない。

 岸田文雄首相は沖縄への共感と親愛の情をしっかり語るべきだ。世界が荒れる中、日本の安全保障をいかに全うするのか。沖縄の協力なしに日本の安全はないと、足しげく訪ねるべきだ。本土の市民も、沖縄に苦労をかけているという認識があってしかるべきだ。(聞き手・那覇総局長 渡辺丘)

    ◇

 いおきべ・まこと 1943年生まれ。専門は日本政治外交史。神戸大学教授、兵庫県立大学理事長などを歴任。現在は、ひょうご震災記念21世紀研究機構理事長。

 1943年、兵庫県西宮市で神戸大教授の五百旗頭真治郎氏の子として生まれた。京都大で政治学者の猪木正道氏に師事して日本政治外交史を専攻し、国際政治学者の高坂正堯(まさたか)氏の薫陶も得て現実主義の政治学を学んだ。広島大助教授、米ハーバード大客員研究員を経て81年、神戸大教授に。日米開戦や戦後の米国の占領政策、講和に至る日本の政治外交の歴史を幅広い視野で論じた。

 小泉純一郎福田康夫両氏ら歴代首相の信頼を得て、日米関係などの外交・防衛方針をめぐり助言した。2006~12年に防衛大学校長を務めた。

 95年、西宮の自宅で阪神・淡路大震災に遭遇。復興活動に携わった。民主党政権下の11年に東日本大震災が起きると、菅直人首相の依頼を受けて東日本大震災復興構想会議議長に。翌年から復興推進委員会委員長を務めた。熊本県立大や兵庫県立大の理事長も歴任した。阪神大震災の教訓を伝えるひょうご震災記念21世紀研究機構理事長を務め、近年も積極的に政策提言を続けていた。

 日本政治学会理事長も務め、中央大教授の服部龍二氏や慶応大教授の井上正也氏ら多くの後進を育てた。

 11年に文化功労者、20年から宮内庁参与。著書に「米国の日本占領政策」(サントリー学芸賞)、「日米戦争と戦後日本」(吉田茂賞)、「占領期 首相たちの新日本」(吉野作造賞)など。

 
コメントプラス
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    三牧聖子
    同志社大学大学院准教授=米国政治外交)
    2024年3月7日11時55分 投稿
    【視点】

    昨年末、立教大学で開催された朝河貫一生誕150周年記念シンポジウムに登壇してくださり、とても貴重なお話をしてくださった(公開講演会「戦争に向かう世界:1930年代と朝河貫一」https://www.rikkyo.ac.jp/events/2023/12/mknpps000002d4no.html)。イェール大学で歴史学を教えた朝河は、日露戦争後『日本の禍機』(1909)を著し、このまま日本がアジアでの膨張政策を続け、韓国や中国を蹂躙し、国際社会から孤立を深めれば、最終的には日米戦争は避けられないと警鐘を鳴らした。その後も、日米開戦直前までその回避のために奔走し続けた。 シンポジウムでの先生のお話を聞く中で、何度も、五百旗頭先生の中に、今も生きる朝河を見る思いだった。先生は日本の存立にとっては「日米同盟プラス日中協商」が重要だと改めて強調された。アメリカとの同盟の重要さについて同意する人は多いだろう。しかしそれに加えて先生は、中国という、難しさを抱えた永遠の隣人ともどうにか「協商」ー同盟のような良好・緊密な関係は望み得なくとも、相互利益がもたらされるよう関係を整え、小康状態を保っていくーを構きあげていくことの重要さを改めて強調された。 最近ではそのような主張をすると、「五百籏頭さんは甘いな」と批判もされたというが、「甘い」のはどちらだろうか。五百旗頭先生の著作や言論、そのリアリズムから今後も学び続け、平和に生かしていきたいと思う。多くのものを残してくださった先生のご冥福を心からお祈り申し上げます。

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    藤田直央
    朝日新聞編集委員=政治、外交、憲法
    2024年3月7日11時55分 投稿
    【視点】

    もう30年以上前、神戸大教授の頃に京都大へ授業に来られていました。お名前を板書され、「すっと読めたのは司馬遼太郎さんぐらい」とユーモアたっぷりのご挨拶。昨秋にじっくりインタビューをさせていただいた折、その思い出話をしたら、「高坂さん(正堯・京都大教授)に来ないかと誘われていたけど、震災があって神戸を捨てられなくなってね」。最近まで東京の方でのお仕事も頻繁でしたが、新幹線で行き来され、ずっと地元を愛した方でした。合掌。