シチリア島(イタリア)が古代ギリシャの支配下にあった頃、いまの議会に当たる民会では、刃傷沙汰が絶えなかったという。法律家のディオクレスは「武器を持ち込めば死刑」との法を立てた。
▼後日、軍を率いて戦場に赴こうとしたディオクレスは「民会で内乱の企てあり」と聞き、剣を帯びたまま議場に乗り込む。「見よ、彼は己の作った法律を破った」。市民の声で非を悟ったその人は、手にした剣で迷わずおのが胸を貫いたとされる。
▼『法窓夜話』(穂積陳重著)から引いた故事である。順法というよりは「殉法」だろう。わが国の辞書にない言葉の実践に、法に携わる人の矜持(きょうじ)を見る。
▼時代は下り、立法府のある永田町はかなり景色が異なる。政治資金パーティー収入の不記載事件を巡り、自民党の処分が出る前に身の処し方を語ったのは、その中身の是非はともかく二階俊博氏のみだった。処分は、法に背いた結果に他ならない。
▼立法府の一員として甘受するのが筋だと期待したものの、不満の声がかまびすしいのはどうしたことだろう。党を束ねる岸田文雄首相が処分対象でないことへの、恨み節も聞かれる。ディオクレス流の政治責任の取り方は、絵空事ということか。落としどころに腐心したであろう首相も、これで幕引きと独り合点されては困る。いわゆる「還流」の実態解明も政治資金規正法の改正もこれからである。
▼吉野弘さんの詩『風流譚(たん)』から一節を引く。<葭(ヨシ…善)も/葦(アシ…悪)も/私につけられた二つの名前です/どちらの名前で呼ばれてもハイと答えます>。有権者の思いをよそに、永田町には自ら「ヨシ」を名乗る人が多いらしい。殉法の故事も、耳をくすぐる程度の風なのかも。