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(憲法季評)政治資金規正法の改正提案 「連座制」がゆがめる政治的権利 安藤馨 憲法季評 2024年5月9日 5時00分

 2023年の終わりごろから政治資金規正法の話題がかまびすしくなって久しい。様々な問題が報じられる中で同法の改正提案を巡って「連座制」という語を久々に耳にした読者も多いのではないだろうか。なんとはなしに不吉さを帯びる(はずの)この語が肯定的に語られる政治状況を手がかりとして、日本の民主政の問題の一端について考えてみたい。

 連座制とは一定の犯罪について、その犯罪行為に関わっていない者についても、犯人と特定の人間関係にあることを理由として制裁が科されるという制度である。だが、犯罪の責任とそれに基づく制裁は、当該の犯罪を自由な意思によって引き起こした個人にのみ帰せられるものである。連座制はこの個人責任の原理に反するものとして極めて否定的な評価を受け、実際にも我が国には原則として存在していない。

 だが、この種の制度が人々になんらの後ろめたさも感じさせることなく現に採用されている稀(まれ)な領域が「政治」である。現行の公職選挙法では、候補者の関係者が買収等の重大な選挙犯罪で有罪判決を受けそれが確定した場合に、候補者本人がなんら関与していなかったとしても当選が無効とされ、当該選挙区からの立候補が5年間禁止される。だが、選挙犯罪の犯人本人に公民権停止などの制裁が科されるのは当然としても、関与していない候補者も類似した扱いを受けるのはなぜだろうか(なお暗黙のものを含め候補者からの指示がある場合には、候補者本人が共謀共同正犯として端的に刑事責任を負うのであって、そもそも連座制の問題ではない)。

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 まず、候補者が一定の関係者に選挙犯罪を行わせない監督義務を負うからだ、という理由付けがある。当選無効・立候補禁止は選挙犯罪の発生を防止しなかったという候補者個人の監督義務違反に対する制裁である、というわけだが、この理由付けのみでは、意外にもうまくいかない。現行の連座制を合憲とした最高裁の判決では、監督義務違反による理由付けは採用されず、連座制を支える理由付けは「当該候補者等の当選無効等の効果を発生させることにより、選挙の公明、適正を実現する」ためであるとされている。簡単に言えば、選挙という民主的プロセスが不公正にゆがめられた場合に、その結果をそのまま認めてしまえば選挙結果が不公正であることを免れないので、公正性を回復しなければならないが、そのためには当該候補者の当選を無効にすることが必要となる。当選無効は候補者の個人的責任を問う制裁ではなく、当選を無効とされた候補者は選挙とその結果である政治の公正性という民主政の大義を守るためのやむを得ざる犠牲として巻き込まれただけなのである。

 しかしながら、連座制のこのような理由付けは、候補者に課すことのできる不利益を大きく制約するはずである(立候補禁止はこのような目的に照らして憲法15条が保障する参政権への過剰な制約であって違憲の疑いが濃厚であると私には思われる)。なお、政治に関する連座制に人々が抵抗を感じないことは、こうした理由付けではなく、むしろ責任ある成人の犯罪行為についてその家族が職を辞したり謝罪したりすることを期待するような文化に根ざしているのかもしれないが、それが正当でないことは言うまでもない。

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 政治資金規正法を巡っては、各党が連座制の導入や政治団体代表者の責任強化を提案している。たとえば、代表者を収支報告書の記載・提出の責任者とする(故意・重過失による違反があれば公民権停止とする)提案は、個人責任の理念という観点からは優れたものだ。だが、会計や経理を専門とするわけでもなく、日常から様々な政治活動に多忙を極めることも少なくない政治家本人が、会計を精密に把握して、報告書を精査し、会計責任者の違反を見抜く義務を負う、という想定には相当の無理があるし、要求が高すぎるがゆえにかえって過失が認められなくなろう。

 会計責任者の有罪判決に連座させて代表者の公民権を停止するという提案にしても、収支報告書への不記載が民主政のプロセスをどのようにゆがめ、それに対するどのような措置が必要なのかの議論抜きには正当化できない。確かに、これまでの政治資金の収支に関する事実は候補者の政治的適性に関連する極めて重要な情報であり、もっぱら会計責任者によるものであろうとも、その不記載は有権者の判断を候補者に有利に誤導し、選挙というプロセスをゆがめる。したがって、そうした誤った情報の下で行われてきた選挙については、公職選挙法と同様に当選無効とされてよいのかもしれない。だが、そうした誤情報が訂正された後の選挙については、立候補禁止は正当化が困難であり、選挙権の停止に至っては論外であろう。

 連座制なしでは代表者の関与が立証困難であり処罰・制裁が容易に免れられてしまう、という理由で連座制導入に賛成する多くの有権者の感情は理解できるものの、それは連座制の根拠としては筋違いである。連座制導入に対し当事者たちから反対の声を上げることは、いまの政治的な状況に鑑みれば困難である。しかし、我々自身の政治的権利を守るために、連座制導入への疑念を呈しておきたい。

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 あんどう・かおる 1982年生まれ。一橋大学教授。専門は法哲学。著書に「統治と功利」、共著に「法哲学法哲学の対話」など。

 

 ◆テーマごとの「季評」を随時、掲載します。安藤さんの次回は8月の予定です。